逸見の死

私が人が死ぬということを意識するようになったのは、アナウンサーの逸見政孝が死んだときだったと思う。1993年12月25日ということだから、私は小学校一年生、ビートたけしのクイズ番組(当時の正式タイトルは「たけし・逸見の平成教育委員会」)の司会が、あるときから突然、逸見から中井美穂に代わったのだった。たぶん、この番組で実際に逸見が司会をする姿は見たことがほとんどなかったのではないかと思う。勤勉な日本人を絵に描いたような逸見の姿が記憶によく残っているのは、死後の追悼番組や、リバイバル特番で過去の映像として、目にする機会が多かったためではないかと思う。

逸見は、もうひとつ、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」でも司会をつとめていたが、こっちの方はリアルタイムでみた記憶はほとんどないが、なぜか「何を作っているのでしょう」のクイズだけは印象に残っている。カタカナ+漢字+ローマ字の混在表記の番組名が時代を感じさせる。これまたほとんど見ていなかった愛川欽也の「なるほど!ザ・ワールド」と、この番組の区別がなかなかつかないのは、どちらの番組も、そのクイズの問題が全体的に私には面白いと思えなかったためだろう。問題そのものより、司会と回答者の掛け合いを楽しむべき番組だったのだろうが、小学校低学年だった私にはその辺のところはわからなかった。その後に日テレではじまる「マジカル頭脳パワー!」は知力と運動神経を活かす問題が好きで、また、司会の板東英二と、所ジョージ飯島愛、池谷幸雄川合俊一間寛平らのやりとりをそれなりに楽しく見ていた。ただ、この番組が全国で流行らせた「マジカルバナナ」や伝言ゲームは、テレビで見ているぶんにはそれなりに面白く感じるのに、クラスのお楽しみ会などでブームに便乗してやると、子供ながらに、幼稚な遊びをしている気がして、全国児童の遊びの水準を下げるのに貢献してしまったのではないかと思う。

きっと、私はクイズ番組に、大勢で楽しむゲーム性よりも、純粋な発想力や記憶力を求めているのだろう。関口宏の「東京フレンドパーク」などは、月曜19時という暇な時間帯に放送されていたので見るには見ていたが、最後まで面白さがわからない番組だった。

平成教育委員会」は、それほど高度な知識は必要としないけれども、発想力を試すような問題が多く、私がクイズ番組を好んで見るようになるきっかけになった番組だった。マッチ棒を使った図形の問題とか、漢字クイズのような問題とか、コマーシャル時間中にあれこれ考えては、だいたいにおいてわからずに降参するのだが、たまに解けると、すごいと言ってほしくて祖母にすり寄って自慢するのだった。

当初、逸見は、病気療養中につき休みとされていたのだったと思う。それが死んだということになり、「そうなのか」と思った。癌が公表されていたので、世間的にはもうわかっていた結末だったのだろうが、癌というのが何なのか、ふつうの病気と何が違うのか、よくわからない子供には、とにかく死んでもうテレビで見ることができないというのがショックだった。

それからすぐに、今度はたけしがバイク事故を起こし、番組を休むことになった。復帰後の記者の前で、なまなましい事故の痕を隠さず、顔を歪ませて会見に応じていたたけしの姿を見たのは、リアルタイムだったか、それとも少し経ってからのことだったか。いずれにしろ、痛ましい姿をみるのは辛かったし、大人の男というのは大けがをしても、平然としているものなのだということに驚いた経験だった。このときのバイク事故は、事故ではなく自殺未遂だったという話は、大学のときの映画論の先生から聞いた。それまで、不思議とそういう風には考えたことがなかったので、その話を聞いて、自分は大人の世界の複雑さをまだまだ理解していないのだな、と思った。

平成教育委員会」は、たけしの療養中には所ジョージが代役をつとめていた。いい加減で力が抜けていて、それでいて洒落ている所ジョージは小学生時代の私のヒーローで、小4くらいから流行るようになったプロフィール交換では、「憧れの人」の欄にいつも所の名前を書いていた。それにしても、このプロフィール交換(いまではプロフというのだろうが、当時は何と呼んでいたのだったか)は、何年も同じ学校にいる相手と情報交換して何が楽しいのかと思えるかもしれないが、もっぱら男子にとってはクラスの女の子と交流することを目的としたもので、好きな女の子と接近できるかもしれない、きわめて貴重な機会だった。どの情報も、どうでもいいといえばどうでもいいようなものばかりだが、そのどうでもいいような情報の中から、相手が自分に好意を持っているかもしれない痕跡を探し出すのが目的で、そういう観点から楽しむべきものなのである。

今では芸能人の訃報に接しても、それが、たとえ小林麻央のような若死だったとしても、とくに驚かず、何も感じなくなった。それは人が死ぬことを当たり前のこととして受け容れられているからだが、逸見が死んではじめて人の死に接したときには、何かそれが不条理で理解を超えたものに感じられ、漠とした抽象的な恐れとして小学生の私を混乱させたのだった。